昭和42年08月14日  夜の御理解



 これはもう度々のことでございますけども、昨日、昨日でございましたか、丁度ひろこ先生達が奉仕しておるときに電話がかかってきて、重体の患者のお届けがあると。もう九分通りは死んでおると、あと、見込みがあるのはあと二分だというような重体患者の手術がございまして、急いでひろこ先生が私のところへその事を言うてまいりましたから、お届けさせて頂いたわけでございますけども。
 したら夕べ、丁度、食事の前でしたでしょうか、お礼へ出て参りましてから、本当に奇跡的に助かったという、今朝からまたお届けにきてから、そのことを話すんです。もう何処の医者が見たって、誰だって、これはまあ、死ぬるとうことの方が強かったんですと。ですから、あそこまでしか医者の力というのはないのですけれども、私共の患者はおかげを頂いてから、こうして御信心のおかげを頂いておりますから。
 そこのいう、あと助からんところを助けて頂くというて、今日は改めて。そういうようなことから、お取次の有り難さというか、神様の働きというものを認めないわけにはいかんのでございますけれども、けれども、どうしても分からない事がある。それはその、魂の世界。実は私、あちら大分と別府の方に御先祖のお墓があるんですね。それであちらにそのお墓参りをするんですけども。
 毎年ただ年中行事のひとつで行くだけであって、石碑の前に出て別に手応えがあるわけでも何でもない、この暑いのに馬鹿らしいような気がするんですけれども、まぁ母親が居る間はお参りしなきゃといったような事を今日言ってましたんです。それでそのそうですね、けれどもああた神様がそして働きやら、神様は分かって見えたんですから、こりゃ私共の死後の世界、いわゆる御霊の世界のやはり信じんわけにぁいけません。
 そんならそれのごとですね、その御霊様が何とか、ああお参りしてきたなぁという印なっとんこう見せりゃいいけれども、その印にも(  ?  )分かりませんということでした。そうですね、御霊様もささやきかけ、お呼びかけしておるでしょう。そりゃ神様が、ん~私共に大きな声でいつも話かけておられるのだけれど、それを聞き取る(?)がない。それをキャッチする心の状態ができていない、崩れておる。
 てゆうてまぁ高島千という女の先生ですが、非常に霊徳の高かった先生の話をさせてもらった、ある時、神様から天地の親神様はですね、世界中の氏子に話がしてみたいと仰る。世界中の一人一人の氏子に話がしてみたいと、(それがやはり、親神様の切実な心、ね、けれどもその聞く耳をもたんから( ? )と仰るのです。氏子が聞く耳をもたん、ね、だから信心とはですね。
 そういう聞く耳を、見る目を、信心する者は肉眼をおいて心眼を開けと仰る。心の眼を開かせてもらい、心の耳を開かせてもらうことが信心だというてもよい。私共の死後の生活、これはも~絶対のもの、いわば科学ででもそれが証明されておるくらい、ですから、いかに私共がこの世で魂の清まりを願い、魂の清まりに精進しておかなければいけないかということは分かるですね。
 そういうような今朝、私とあのう小野先生と御霊様のことを、についてを話し合いをしたことでございますけれども、皆さんでも同じことだと、御霊様が喜びござる、御霊様が求めてござる、要求しござる、そう言う様な事が分からない。心の状態がやはりそれをキャッチするだけに清まっていないからなんだ。ならどういう風にして「ほらほら(光橋?)さん、ほらほらひろ子先生」と言った様な(夫婦?)じゃない。
この頃からあの、久保山先生の御霊様が、あちらの長男の茂さんやら、私共の若先生やらに、同じ日に話しかけておられます。色々と。ですから、力を受け、お徳を受けるとそれがまぁお互いの状態の 行動する状態が一致した時ですね。それがその現れてくることがございます。けれども、おおむねです。いわば、毎日何でもないこと、いうなら吹くそよ風の中にでも御霊の声がある、神の声がある。
 (    ?   )向けておかないとそれをそうとキャッチすることができない。今日は電話で、伊万里の市長さんから、真に恐れ入りますけども、母親の25年の忌にあたります。どうぞ御霊様のことをよろしくお願い致しますというお取次ぎがあった。それで私は、今晩まぁささやかなお供えでもちょっと用意させて頂いてから、させて頂くつもりでおりましたから。
 只今そのことを久富先生にお願いしてから、玉串を作ってもらい、お供えさせて頂く事をお願いしたんです。そしたら先生、あのう松岡さんも今日はお盆じゃから、あのう確かお父さんの初盆です。ですから御霊様にご挨拶をして下さい、あのうお供えをして下さいというて、伺いましたということを、末永さんが取次ぎしておったらしいんです。それをもう聞いておられたらしいですね。
 それは丁度今一緒に、そうしたところが、きれいな鯛がお供えしてあった、お神酒が、果物が、まぁちょっとした物ではありますけども、お菓子類までがこうしてお供えがでけておる。丁度その頂いておった。ね、はぁ今日もお祭りというわけでもないけれども、私の場合は受けて下さる神様の、いや御霊様のお働きをそこに聞かん訳にはまいりません。で私が末永さんに、あんたそげなんことじゃつまらんじゃないか。
 そういう私は人間的なことならね、どげな言葉でも忘れるちゆうことがあるから仕方がない。けれども、こと神様のこと、こと御霊様のことは、まあちっとしっかりせないかんですよと言うて申しますのですけれども、ちょっとうっかりして忘れておりましてもです、御霊は呼びかけておるでしょ。ね、それは、今私が話したようなことで呼びかけてある。池田さんとこの御霊様。
 そして久富先生がそこに、ほんに今日は、松岡さんもじゃったという思い出されるということは、いわゆる、御霊様がもう、久冨先生に話し掛けておられるんです。だからここのお広前には、そういう一つの雰囲気、そういう神様の働きをというか、御霊の声をというか、それをキャッチだけの何ものかがここには、まぁ段々整うてきておると、いったようなことを感じます。ね、
 神様が一いちいちご返事を下さるというと、皆が変に思いますかもしれませんけれども、今朝の御理解頂きよってからもそうでしたですね、ね、「話を聞くばかりが能ではない」という、いうその前提としての御理解に対して、ね、だから話を聞くばかりが能ではないでしょうが。教祖の神様が話を聞くばかりが能ではないとおうせられるから、そこんところを祈っていかなければいけんでしょうがと、私がお伝えした時に。
 カチーッと皆に響くようなお勇みでした。あれはまさしく神様が御返事下さっておるようなものなんです。そういう働きが、ならどこでもあっておるとは思われない。椛目では、いや合楽では、ね、そういう働きがいっぱいあっておることを私共は実感いたしますです。いつの場合でも、今晩のご挨拶を受けられた二柱の御霊様でもそうである。危ないことで( ? )ところを。
 あ合楽であったおかげで( ? )すまれたというような感じがいたします。だから本当に一つお互いが、それこそ世界中の氏子に話がしてみたいと仰せられるのが神様の神意である、心情なんだ。ね、ですから、その神様の声をです。聞きとめられれる心、それは例えば、おいおいと、こらこらという風にして、呼びかけて下さるわけじゃないのですけど、心を神様に向けておる。
 心をいよいよ清まらせて頂く事に努めておりますとです、神様のそれと通じ感じあうのです。ね、そして、そこには何か、まぁゆうならば、まぁ難しい話しですけれども、ね、もうそれこそ私が例えばお知らせを頂く中にもです、はぁ今の言葉が、あれは梵語というのであろうか、仏教研究するためには、あの梵語というのは、梵語を研究しなければ教典は本当に分からないと言われております。
 その梵語であろうか、英語であろうか、支那語であろうか、これはどこの言葉であろうかと言ったようなことでお知らせを頂く事がございます。けれどもですね、それにはちゃんとタイトルがついてる。そのタイトルもこ、はっきりしたもんじゃない、それは丁度いうならば、私共の椛目の言葉でですね、椛目の地言葉で、それがこうタイトルがでてくる。というてなら字が書いてあるわけでもなかなければ。
 なら椛目の言葉で話をして下さるわけではないけれども、そういう風にですね、そこんにきは非常に微妙なことですから、説明はできませんけれどもですね、そういういわば、どこの黒人であろうが、白色人であろうが、黄色人種であろうが、土人、黒人であろうがですね、ね、天地の親神様のお話しかけというのはですね、もう誰にでも聞こえ、聞かれれる言葉を持ってして下さるんですよ。ね、
 だからそうそういうことだけではない。例えていうならばです皆さんが御気付けというでしょう、御気付けなんかと言う様な事は、その事柄を持って呼びかけて下さる。今日も私、久富さんと、軸の架け替えやら、大祭前の調度品の置き換えやらさせて頂いた。私がすることは神様がいつもお嫌いになるんですよ。これは私よく分かってるんです。「繁雄さんああやってしおんなさるし、分からんなさらんもんじゃけん。
 私かあここに( ? )ああすいませんすいません。あのもう致しません」と頭をおさえてからせなでけんから、まさせて頂いたんですけどもですね神の声なんですよ「こらこらお前がそげなこつするとじゃなかろう」と、私にいつも言うておられる事を何時も感じます。ほんとに例えば共励殿の向こう側の方にですね、スリッパの汚いのが2つこんな風な格好してから。もう何時も昔からあすこに散かったままなんですよね。
 私はそれをどの子をあすこ( ? )拾わせて下さいとお願いしたか分からんです。許されません。ですからそれをうかつにしておると、蹴躓いたり何かがあるんですよね、それは私にそれだけの、そういう神様の働きをキャッチするだけのものを少し(?)ものを感じます。ね、どうぞ世界中の氏子に話がしてみたいと仰せられる神様の真意をです、悟らしてろうて、神様の思いがお心がお言葉が、こちらへ通うてくるような信心をおかげ頂かなければならんと思いますね。
   どうぞ。